聖域と場の空気🪦
●聖域と場の空気
京都への到着が大幅に遅れ
夜になってしまった
行きたかったので少し怖いけど
山に入ってみた。
途中ほこらが一つ、そこから20分くらいさらに登ると大きな岩がありその横の細い道を進むと方丈庵跡がありました。
800年前バージョンの内容にいまでも
引きつけらるってロマンがあります。
真っ暗の森の中で感じた恐怖は、自分の思い込みや先入観にしかすぎず。
マインドセットを切り替えてしまえば
以外に平気である事に気づきます。
怖い怖くない
できるできないは、自分が決めつけちゃって
いたんだなぁ〜って
ですので、達成感でマインドセットが切り替わったからか下山するときは冷静でいられました。
上弦の月が出ていたし方角を見失わなくて助かりました。
リアリストさんからしたら原因不明な病や
持病は絶対にどうにもならないと言います。
ロマンチストさんからみると、どこかに答えがあるじゃないかと思います。
行動していればそのうち.....
危険と隣合わせの張り詰めた緊張感と空気感で冷静に仕事をする重量屋さんの専務が道なき道、山にこもって人間の気配がない沢を登り。
そこにしかいない渓流の魚を釣るのに
似ているような。
違うような
「自分もできるんではないか」と勘違いさせてくれる、よい人との出会いは原動力になりますね。
中には引きずり落とす人もいますから、見極めるのが鬼滅の刃でいうところの、
「におい」なのかも。
恐れや恐怖は周囲が植え付けてくれているだけで、荒療治(あらりょう)ではありますが
一度「天邪鬼(あまのじゃく)反抗」となり
植え付けられた先入観や固定概念をデフォルトするところから始める。
(思春期、反抗期の子供のように自分に素直に)
いいチャンスでした.......