Yamaryou’s blog

人と人とのソリューション

●リスキーなリスク: 貿易為替リスク🚢

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•腹落ちしなかった資料や記録を思い出す簡単な仕組みがあります、どうしても紙ベースの参考資料や記録メモなどは時間とともに増え。いつどこで何が何の物なのか分からなくなりますもんね、記憶ほどいいかげんなものはありませんから。スキャナーでデータ化しパソコンやハードディスクに保存管理をする手段や本棚にファイリングしてならべたりする方法もあります、そんな中で自分のようなすぐに気が散り他事へ目がいってしまう人におすすめなのが衣装ケースXPです。(名前はテキトーです)まず準備するものは衣装ケースとA4角型の封筒です、そして封筒のノリずけする部分をハサミで切り取っちゃいます(使いませんので)その封筒に各グループ化した書類や資料を入れて封筒にグループ名と通しナンバーを記入し衣装ケースに格納していきます、以上。その通しナンバーグループ名を記入した一覧表を一枚の紙に作成して、必要な時以外は衣装ケースに格納し見えない所へしまっておきます。(リアル外付けハードディスクてきな使い方)本も同様で読まなかったり読むことがなさそうな本は捨てるかブックオフで処分します、自分は一冊の本を読み切るのにだいたい1年かかる事に気が付きましたので、本棚は本屋さんでも図書館でもないので自分が本当に必要としている資料や物以外はおきません、それでも積ん読みになってしまいますが。どうしても目に入ると気になってしまいますので。 

ダイエットしている時など目に入る場所へ食べ物を置かないのとよく似ていますね、人は誘惑に弱いのが当たり前でそれが健康なことですから。 

そして、何年かぶりに話をするときになどに資料や記録を簡単に取り出すことができますし、腹落ちしていなかった内容も見返すことができます。当時、理解できなかったことも時間がたち多くの体験や経験を経てあらためて見直すと、こんな簡単な事で困っていたんだなと実感します。 

例えば貿易にでてくるCOMMERCIAL INVOICE(コマーシャルインボイス)やPACKING LIST( パッキングリスト)の文章や取引メモなど。 

 

何かに取り組む時、順番がいつも逆になるのは大連のチョウライの言葉があります。 

例えば中国語検定試験を4級からひとつづつ1級にむけてステップアップするのに対して彼は「最初から1級を受けたほうが早いよね、1級に合格すれば2級も3級も4級も受けなくていいじゃん」っいいます。 

インスタで連絡が9年ぶりに連絡があった西安の聡明な同僚中国人とは、とあるゲスイ社長の貿易会社で出会いました。採用された次の日には取引先へどんどん訪問し紹介されていく「彼が担当ですから」てな感じで、そもそも営業職も貿易も初めてでして、その一週間後には「パスポートあるよねっ」っとたずねられる。 

「はいこれっ」、チケットを渡され「3日後に10日くらい中国へ行くから、セントレアに××時ねっ」てな具合で飛行場に集合した時の彼の第一声が「はっ?きみスーツで来たの?」のちに知ったのですが現地工場での商談でいちいちスーツは着ないようで必要ありませんでした。 

営業職も貿易も初めてですので ('ω') 

飛行機へ搭乗し機内で社長がつけていたフランクミューラーの腕時計を渡され「これあげるよっ」、「はっ?」もらう理由もないのでお断りしました。 

すると彼が「これニセモノだから」といいます、実際に本物か偽物かは知りませんが、各場面で人を試してきます。そして香港へむけて出発します、その時に利用したのがキャセイパシフィック航空という飛行機で中国に行くのに船か中国東方航空でしか行ったことがなかった自分にとっては比較にならないくらい心地のよいサービスでした。 

香港の空港に到着してとても広い事におどろき、そこからタクシーで中国本土へ入国します→広東省東莞市(とんがん)へ、ここでは各製造工場をまわり商談や打ち合わせをしていきます。移動手段は現地採用した日本人のおじいちゃんの車を使います、このおじいちゃんは日本で製造業を定年退職したのち技術とノウハウをかわれ成長し続けているある中国企業から新規工場を立ち上げるので誘われてきたのだという。 

しかしその計画が延期となり香港の職安みたいなところで、この会社を見つけて採用されたのだとか。ところが、現地ワーカーを指導する側の仕事なのにも関わらずワーカーと仲良くなって不良品でも平気で中国から輸出してしまっていたので。その代りに自分が連れてこられたようでしたが営業職も貿易も初めてですし中国語もわかりませんし、いったい自分がなにをしにここへ来たのかも不明でした。翌日には日本から取引先の方々がやってきて毎晩、食事にお酒とカラオケの接待、社長が言います役に立たないのだから「酒が弱いオレの盾(たて)になって酒を飲めと」そして酒にのまれた社長から現金の札束を渡され預かるように言われました。自分もなにが欲しいかきかれましたが、「あなたの語学力」と答えたところ、彼がもっているユニークなボールペンを誕生日にもらいました。それは今でも大切にせず使いたおしております。いい物は、10年近くつかっても書き心地が変わらないのがいいですね。 

翌朝、レストランでその現金を返すとそのままカラオケ嬢へ支払いをおこないます欲望にはいろんなシステムがありますね。とにかく、朝から夜まで移動したり接待したりと写真を撮ったり遊ぶヒマはありません。とにかく時は金なりのお人でして毎日お高いホテルに泊まる事が申し訳なく感じたので、おじいちゃんのアパートに泊めてもらう事にしました。ゆっくりできたのはその日本人駐在員のおじいちゃんのアパートの部屋で寝た時くらいです。 

このおじいちゃんが本当にユニークな人で、夜おそく一緒にアパートへ帰ると鍵をなくしたようで何をするかと思いきや置いてあったバールで扉のノブを壊しはじめました。 

そのアパートは防犯上2重とびらになっておりますし、夜おそいので近所迷惑になるのではと思いましたがおじいちゃんは言います「大丈夫!鍵なくしたのは2回目だから」といって扉をぶち壊して無事に中へ入ることができました。戦後生まれはハングリーですね、すごく質素で倹約した生活をしていたのが印象てきでしたしまなぶことは多くありました。そして高速船にのり香港経由で帰る事になりましたが飛行機の出発時間までに一社商社を訪問したいとのことで同行することに、そこで社長は担当者を呼ぶなり。この×000万円は何と相手へ説明を求めます(横領したお金だと思うのですが)そのうち怒鳴りはじめ飛行機の時間があるからと立ち去ります。たまに会社のお金をくすねたりポッケナイナイしたりする人がいたりしますが、自分もそうですが人は弱いものですからしかたがありませんね。負けないよう元気なうちに構築することはホントに大切なことですね。 

そして、事業投資がとても上手な人でして野球チーム運営もやっていたりなど、そのカラクリも教えていただけました。しかし、そんな社長も同じで帰国後に絶大な信頼をおいていた尼崎の会社が突然計画倒産し貸倒(かしだおれ)がおき焦げ付きそうになっておりました。そんな会社で生き残った中国人の彼と最後にあったのは日本から引っ越して行く時にセントレアへ見送りにいった以来ですから9年ぶりくらいでしょうか、連絡をくれた事に感謝します。